BoysLove's Blog

BL元年2019年、初心者のブログです。読後の感想を書いていますので、ネタバレです。できれば作品を読んだ後にどうぞ。

なぜBLなのか?<その1>:BLは日本女性発のサブカルである

ここまで色々BLを読み進めてきましたが、もそもBLってどういうことなんでしょうか。


友人などから「BLって何?」と聞かれた時、


  1. 男同士の恋愛を描いたマンガ
  2. 読むのは(ゲイの男じゃなく)ストレートの女
  3. 登場人物はゲイじゃないのに、男を好きになっちゃうっていうのが多い、
  4. 詳細なセックスシーンがいっぱいある


なんて説明しますが、聞いてる相手はその時点で「なんじゃそりゃ?」っていう顔になります。
説明している自分も、説明しながら「なんじゃそりゃ?」って思うんですよね。
なんでホモのイチャイチャを、ストレートの女が喜んで読むんだよ、と。


「じゃあ、それってポルノなの?AVみたいなエロ発散目的で読んでるの?」と聞かれると、そこはビミョーなんですよね。


エロ目的にしては、あまりにも絵柄が凝りすぎているというか、エロだけとは言えない何かがあって、その「何か」がBLらしさだと思うんです。


では、その「何か」とはなんなのかを考えていたいと思います。


BL(ボーイズラブ)は日本の女性が発信したサブカルチャーです。
他のどの国でもなく日本の、そして女性のみから発信した全く新しい文化と言えると思います。
つまり、日本の女性独自の感性を発展させたジャンルですよね。


最近でこそBLと呼ばれていますが、少し前は「やおい」と呼ばれていましたね。
今でも海外では「Yaoi」と呼ばれているようです。
恐らくBoy's Loveだと、小児性愛みたいなニュアンスに聞こえるんじゃないでしょうか。
私自身米国在住ですが、最初に「Boy's Love」という言葉を聞いた時、そういうイメージを連想しました。


さて、BLの起源ですが、記憶にある限りでは、70年代から「美しい男同士が×××」という少女マンガはたくさんありました。


70年代の漫画雑誌には、”りぼん”や”なかよし”などの、いわゆる女の子向けの雑誌があり、これらのの雑誌のマンガはいわゆる普通の甘酸っぱい恋愛モノです。


主人公の女の子はあまりパッとしないけど、なぜかカッコイイ男のコにモテるという設定で、何というか、私から見るとなんか、イラッとするんですよね。


いがらしゆみこ”キャンディー・キャンディー”(1975年〜1979年連載)なんかが典型です。

テリィ、ロン毛です。


ちなみに幼少の頃はこの作品が何となく好きになれませんでしたが、高校生になってから友達に借りて全巻読んでみたところ、なかなか面白かったです。
やはり名作は名作なんですねぇ。
ちょっと年齢層が上がると”マーガレット”などを読むといったところでしょうか。


それに対して、”花とゆめ”や”フラワー”といった雑誌は、もっとストーリーや登場人物が複雑な作品を取り扱っていました。


その中には、今でいえばBLと言われる作品も多数ありました。
雑誌の半分ぐらいの作品がBL的な要素を持っていたと言っても過言ではないほどで、実はすでにBLは溢れかえっていたのです。


ただ「BL」や「やおい」といった名前が付けられていなかっただけで。


その頃にりぼん・なかよしではなく花とゆめ・フラワーを選ぶ姿勢というのは、ある種のツウ好みというのか、普通のマンガでは飽き足らない一種の向上心のような、いわゆる「意識高い系」的な考え方があったような気がします。
フツーの男女の恋愛モノじゃ面白くない、と言いますか。


例えば、魔夜峰央”パタリロ!”では美少年キラー、バンコランの奔放な美少年との性的な関係がほぼ毎回のように描かれており、マリネラ王国の国王パタリロの親衛隊であるタマネギ部隊も、ゲイの美少年で構成されています。

70年代でコレですよ。


更に言えば、少女漫画の金字塔とも言える「ポーの一族」のエドガーとアランの関係性もBL的ですし、萩尾望都(巨匠!)の他のマンガも、男同士での恋愛、あるいはバイセクシャルなキャラクターが数多く描かれています。


また、河惣益巳”ツーリングエクスプレス”という作品は、もう、まごうことなきBLでした。

ディーン(殺し屋。ゴルゴ13の超美形バージョン)とシャルル(ひたすらカワイイ)の話。


更にいえば、山岸涼子”日出処の天子”(名作中の名作)も、BL黎明期の大作と言っても良いのではないかと思います。

名作中の名作、”日出処の天子”


こういった作品を多数読むことで、BL的メンタリティーというのは築かれていきましたし、BLというジャンルの素地も固められていったのではないでしょうか。


>その2へ続く