私自身のBLライフのそもそもの始まりとなった作品です。
水城せとなさんのマンガが好きで、色々読んでいるうちにBLとは知らずに読み始めてしまいました。
割と最初の段階で、”アレ、これってもしかして?”と思ったのですが、すでにKindle版で購入済みだったため、そのまま読み進めました。
ノンケの恭一がゲイ大学の後輩・今ヶ瀬(いまがせ)に開発されていく話なのですが、これがなかなか読み応えがありました。
BLでは、ほぼ必ずといって良いほど「どちらかがノンケで、ゲイに惚れられて、どんどん開発されていく」という設定が定石になっているようですが、現実にそういったことは早々あるものなのでしょうか。
自分に置き換えて、性別を逆転させて考えた場合、レズビアンの女性から惚れられて、相手がいくら魅力的であっても、性的な関係に移行するのはかなりハードルが高い気がします。
が、このマンガでは(というかBLでは)、口説き落とされる側(恭一)はその辺が割とユルい人物という設定になっているようです。
まあ、現実にはあまり「あり得ない」ことだからこそマンガなんでしょうねぇ。。。
「自分はゲイではない。男など好きになるはずはない!」という確固とした理性の揺らぐ瞬間が、物語の中の一つのヤマ場とも言えるのでしょう。
とにかく、あっという間にストーリーに引き込まれ、続編の”俎上の鯉は二度跳ねる”も即買い。
読み終わった後に両方を3回は立て続けに読み返しました。
子供の頃からずーっとマンガが大好きですが、3回を立て続けに読み返すというのは滅多にありません。
正直、「やってもーた…。」と思いました。
禁断の扉を開けてしまったというか。。。
思い切り貪ってしまったというか。
BLに開眼してしまったのは主人公の「恭一」だけでなく、自分自身もだったのです。
それにしても、なぜ3回も立て続けに読み返してしまったといえば、ただ単にBLだったというだけではなく、大変完成度の高いマンガだったということでもあると思います。
おそらく、セックスばかりの単なるエロだったら、すぐに興味を失っていたはずですし、今でもエロだけのBLは興味がありません。
恭一がノンケだということは、大きな障壁となっており、これを(今ヶ瀬が)いかに覆していくかがストーリーの柱であり、この部分をどれだけ納得のいく表現をできるかが作家の力量ということになるのでしょう。
今ヶ瀬は手練手管で恭一を落としていきますが、最後に恭一の全てを手に入れても、「どうせセンパイ(恭一)はゲイじゃないんだから、いつか女に戻りますよ。」と、自ら逆に一線を引いて逃げ腰です。
この辺りの「どんなに頑張っても所詮は…。」の「不毛さ」や「絶望感」が、BLのが「萌え」させる要素の大前提なのでしょうね。
決してハッピーにはなれない、けどそれ故に激しく盛り上がってしまうという。
「ロミオとジュリエット」以来の古典的なテーマと言えるのではないでしょうか。
成就できない恋は美しい。
結ばれて普通に幸せになってしまったら、結婚して夫婦生活の日常があるだけですから。
恋愛の一番オイシい部分は、成就するまでの過程であり、その「成就」の直前で寸止めにされて(BL風にいうと「イケない」状態)でいることに「悶え(=萌え)」となるわけですね。
それにしても、BLマンガの中では女性というのは本当にツマラナイ存在です。
どんなに可愛くて(あるいは美しくて)、性格が良くても、なんだかモッサリしているというか。
今ヶ瀬のライバルは二人いましたが、どちらも「こいつらジャマ、さっさと消えて!」と思えてしまう。
自分はどちらかといえばそちらの側のはずなのに、何故か全く応援する気になれません。
この辺りの「(美しい)男以外はいらん!」という心理もまた、BL独自なんでしょうね。
BLマンガの中では人気の女性キャラは生まれづらいんじゃないでしょうか。
最後の番外編で、恭一とラブラブの今ヶ瀬が、かつてのライバル、恭一の元カノ・ナツキに「くだらない女に成り下がっちゃって…。」と言われてしまうところも印象的です。
叶わぬ恋だから美しい、ハッピーなBLは成り立たない。
とまで言ったら、言い過ぎでしょうか?
<一番ゾクっときたシーン>