BoysLove's Blog

BL元年2019年、初心者のブログです。読後の感想を書いていますので、ネタバレです。できれば作品を読んだ後にどうぞ。

”シャングリラの鳥”:座裏屋蘭丸

シャングリラの鳥Ⅰ (cannaコミックス)
シャングリラの鳥Ⅰ (cannaコミックス)
cannaコミックス
2019-04-26
Kindle本

座裏屋蘭丸様作品第4段。
まだ連載中のようです。
というより、始まったばかりと言ってもいいのかも知れません。


シャングリラ(英語: Shangri-La)は、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷(ユートピア)の名称。ここから転じて、一般的に理想郷と同義としても扱われている。(Wikipediaより)


電気グルーブにも「シャングリラ」という曲がありましたね。
シャングリラ、なんだか物凄い快楽が味わえそうな響きです。


さて、座裏屋様の描き出すシャングリラですが、超高級男娼のユートピアです。
ここでは男娼(小鳥たち)はそれは丁重に扱われ、体を売る悲惨な境遇からはかけ離れた環境であり、気に食わない客をつっぱねる権利すらあります。


主人公のフィーは売れっ子男娼の一人。
相手役のアポロは新人の「試情夫」で、フィーから試情夫としての研修を受け始めるところから話が始まります。


試情夫は、男娼を「その気」にさせる「当て馬」役。
これから客を取る男娼を発情させるのが仕事。
また、男娼が客から嫌な思いをした時のストレスを癒してあげる役割もあります。
ただし、試情夫は男娼にいわゆる本番をしてはいけない!(だから当て馬なんですね)というオキテがあります。


曰く、
「男娼をイかせないこと」
「挿入行為はしないこと」
「絶対に恋に堕ちないこと」


アポロはストレートで、離婚したばかり。
BLですから、やはり片方はノンケなんです。


ここではノンケはセックスがいい、という都市伝説のようなものがあるらしく、ストレートのアポロには妙な期待がかかりますが、実際のアポロはどちらかというと不器用で朴訥ないい人タイプ。


ただ、試情夫として接していく中で、実は女性に対してはそれほど不器用ではないどころか、情熱的で床上手であるらしいことが少しづつ垣間見え、それがフィーの好奇心を掻き立て、果てにはどうやら惚れ始めているような様子すらあります。


この、アポロの隠された(女性に対しては出される)情熱への興味が呼び水になっており、今後の展開が非常に楽しみです。


いますよねえ。
真面目であまり面白みのないヤツかと思っていたのに、付き合ってみたら実はかなり色気がある床上手だったっていう。
そういう相手って、すごーくハマっちゃうんですよね。
期待以上のギャップにヤられると言いますか。


長袖のシャツで、めちゃくちゃいい身体をあえて隠しているアポロ。
長袖のシャツに封じ込められている強靭な身体は、まだ表には出されていないアポロのポテンシャルを表しているかのようです。


フィーがアポロの(今のところ)封じ込められた情熱をチラチラ垣間見ることで、刺激されてしまうのは無理からぬことで、読者も「アポロって実はスゴいんです」が、どうスゴいのかが見たい!という気持ちにさせられます。


これから続いていくストーリーの見事な前振りで、まんまと掻き立てられてお預け状態です。


第二巻はいつ頃出るんでしょうかねえ…。
辛い待ちがまた一つ増えました。

”コヨーテ”:座裏屋 蘭丸

コヨーテ I (ダリアコミックス)
コヨーテ I (ダリアコミックス)
フロンティアワークス
2016-12-22
コヨーテ II (ダリアコミックス)
コヨーテ II (ダリアコミックス)
フロンティアワークス
2018-08-22

座裏屋蘭丸作品、第三弾です。


この作品を読んで、この作家さんの作風というかパターンが理解できたような気がします。


登場人物の設定やセックスのプレイの雰囲気はリカー&シガレットと少し似ています。
責める方が超絶いい男で、セックスがものすごく上手い。
ウケ側がネコっぽくて、どんどんエロを開発されていくところはほぼ同じ。


なんちゅーか、気持ち良さそうなんですよねぇ。


リカー&シガレットは良い意味で気軽に読めるほのぼのしたBLですが、こちらはストーリーが入り組んでおり、長編になりそうです。


「ヴァラヴォルフ」という狼人間という設定を中心に話が進んで行きますが、今後の展開が楽しみです。


ただ、個人的にはのんびり楽しめるリカー&シガレットの方が好みかな…。

”MODS”:ナツメカズキ

さーて、お次のBLは?と色々検索&試し読みして回ったところ、ナツメカズキの表紙絵が目に留まりました。


オシャレな絵柄で、評価も高いようですので、ポチッと。


余談ですが、このように好きな時に好きなだけマンガが買えるなんて、大人で良かったと思います。
子供の頃は、それこそ限られたお小遣いからやりくりしましたし、ましてBLなんて親の手前、ともても買えませんでした。
本棚にあるのが見つかったらえらいことです。
普通のエロ本が見つかるよりもしんどいかもしれません。


男性専用デリヘルの男娼シロに、黒服の虎(ノンケ)が惹かれていく話。



うーむ。
あまり好きになれませんでした。



なんか、”囀る鳥は羽ばたかない”とキャラが被って見えちゃったんですよね。
シロ≠矢代
虎≠百目鬼
っていう。


シロの受けた性的虐待がシロを男娼にしてしまい、それしかできないと信じきっている。
虎はそれを愛で癒してあげるっていう。


こういう設定自体がありがちなのかもしれませんが、ヨネダコウ作品のインパクトがすでに強すぎました。
こちらを先に読んでいれば良かったのかもしれません。



絵はカッコイイんですけどね。
ストーリーが物足りなかったです。


”囀る鳥は羽ばたかない”でいよいよハードル上げすぎてる感があります。


この先、読んで感動できるBLが実はそんなにないのではないかと不安になってきました。

”日出処の天子”:山岸凉子

日出処の天子 完全版 1 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
日出処の天子 完全版 1 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
KADOKAWA/メディアファクトリー
2011-11-18

BLとは言えないのかもしれませんが、しかしBL的な素地を作った作品として、感想を書きたいと思います。


残念ながら電子書籍化されておらず、今手元に作品自体がありませんので、記憶からの感想になります。
そのため、曖昧な部分があるのはご容赦ください。


が、この作品に関してはそれこそ擦り切れるほど、セリフを暗記するほど読み込みましたので、記憶をだどりつつ話を進めたいと思います。


この作品を読んだのは、”LaLa”という雑誌で確か連載の初回から読んでいました。


最初にこのマンガを読んだときは、いろんな意味で衝撃を受けました。


まず、少女マンガにそれまでなかったような絵柄。
日本画を思わせるような繊細さ。
いわゆる少女マンガの乙女乙女したタッチとは全く違います。
また、カラーのページの配色は和服の色調を思わせる渋い色彩で、文字通り異彩を放っていました。


聖徳太子=厩戸王子、(または厩戸)が主人公ですが、この作品ではでは頭脳が明晰であるだけでなく、霊能力者および超能力者という人物として描かれています。
連載開始当時は14歳という設定ですが、すでに飛び抜けた知性があり、周りの大人を圧倒しながら政(まつりごと)に関わっています。


また、女性を凌ぐ美貌の持ち主です。

山岸凉子の開発した厩戸王子のビジュアルというのは、その後のマンガのこのテの登場人物の雛形になったといってもよのではないでしょうか。
線が細く、つり目の切れ長の目に薄い唇、尖った顎。


厩戸王子。美しすぎます。


このマンガによって、私の聖徳太子像は180度変わりました。


聖徳太子は日本の歴史上誰もが知る存在で、同時に7人の話を聞くことができた、などの逸話があり、また、律令制度や憲法を最初に日本に導入した人物です。
仏教を日本に広めることに貢献したことから、非常に頭が良く徳の高い偉人というイメージでした。


歴史上の偉人というのは、教科書などに載る都合上なのか、割と癖のない人格者といった雰囲気でサラッと説明されてしまいますが、天才とは極度に屈折したり、変人である可能性は十分にあるわけで、山岸凉子の描いた聖徳太子は、それまでぼんやりと持っていた聖徳太子イメージよりもずっと説得力がありました。


しかも、女嫌いです。
(それが高じて、ゲイです。)

ただ嫌いなだけではなく、「大嫌い!」


身分は高く(天皇の息子)、頭脳明晰で、美貌。
他に敵なしの厩戸皇子ですが、母親には超能力がバレており、そのため母親から恐れられ且つ疎まれ、本来与えてもらえるべき愛情をほとんど与えられていません。
そこで性格が思い切り屈折してしまったようです。
ツンデレの王道をいく性格です。



そんな屈折した厩戸は、真っ当を絵に描いたような男、毛人にとことん惚れます。
毛人もまんざらではないどころか、心の奥底では厩戸皇子に強く惹かれていますし、様々な場面で厩戸皇子と愛し合っています。


厩戸、童貞を失う。初体験の相手は毛人だったってことですね。


つまり、blでお約束のノンケの男を好きになってしまう悲哀がここにあるのです。(しかもツンデレ


”日出処の天子”が昨今のBLと大きく異なるのは、最後がハッピーエンドではないことです。


連載を毎月(年に4回の発行だったかもしれません)心待ちにし、毎号何度も何度も読み返し、そしてすっかり厩戸に感情移入していましたから、なんとか厩戸には毛人と幸せになってもらいたかったですが、実際にはなんともやりきれない最後なんですよね。


「いつもわたしが真に欲するものは わたしには与えられない。」


この言葉が本当に切ないです。
「いつも」といっているのは、母親の愛情のことも含んでいるのでしょう。


この時代のマンガって、こういう悲劇的な終わり方が結構あったんですよね。
少女マンガの不朽の名作、”ベルサイユのばら”も最後は悲劇ですしね。


とはいえ、”日出処の天子”がマンガ史上の名作であるのは、最後がハッピーエンドではなかったからだともいえます。


厩戸王子、毛人の性格や時代を考えれば、ハッピーエンドにはむしろ無理がありますし、最後に厩戸が自分の母親によく似た目をした白痴の少女を妻にするというのも、厩戸という人物成り行きとしては納得のいくものでした。


決して嬉しくはなかったですが。


最後にかの有名な「日出処の天子〜」の文言が出てきます。


それにしても、このマンガでは女性はロクな描き方をされていません。
毛人の恋人、布都姫は凄い美人ですが、厩戸の恋敵であるせいか、なんとなくイラっとするんですよね。
男にはモテるけど、女からは何故か嫌われるタイプ。


毛人の実の妹で刀自古郎女も、兄に恋をし、あまつさえセックス(近親相姦)までしてしまい、さらにその子供を産んで大胆にも厩戸の子供と偽って育てるのですが、結局は幸せになれません。


大姫に至っては、厩戸に「滑稽」とまで言われる始末です。


ツンデレのゲイ(厩戸)がノンケ(毛人)との間で生じた葛藤のある恋愛。

女の登場人物はみんななんだかパッとしない。

こんなところに、”日出処の天子”のBL性を感じてしまうんですよね。



この作品をBLと呼べるかどうかは定かではありませんが、日本漫画誌に残る不朽の名作と言っても過言ではないと思います。

なぜBLなのか?<その3>:なぜ男同士の恋愛に萌えるのか。

しかしながら、この、男性同士の恋愛に萌えるっていうのは一体何なのでしょうか。
主人公の片方または両方がノンケだったりすることが多いので、ホモ(純正)が見たい」というわけではないんですよね。


男が大好きだから、登場人物に女などいらん!という、カワイイ女主人公への嫉妬心でしょうか。
BLでは女性の登場人物が極端に少なく、いたとしても存在感はとても薄い。
顔と名前が覚えられるかどうか定かではないほど、ぼんやりとした描き方をされていることが多い。
まさに脇役です。


主人公が二人とも男ですから、両方に対して「萌える」ことができ、いわば二度美味しいとも言えます。


あるいは、日本人女性の性への抑圧の歪んだ形での表現なのでしょうか。
実際、女性向けのポルノやAVが作られるようになったのはごく最近ですし、今でも女性がおおっぴらにそういったものを楽しめるような雰囲気ではありません。
男であれば、「AVで一発抜いたよ」とサラッと言ってしまえるところですが、果たして女性が同じことを言った時、その受け止められ方は同じではないと思います。


自分自身の性欲をそのまま受け入れることへの強い抵抗感が、ホモではない男同士のセックスに「萌える」という心理につながっているのでしょうか。


また、BLの特徴は何と言っても詳細なセックスシーンですが、女性自身が当事者ではないからこそ直視し、堪能することができるのかもしれません。


いわゆるポルノマンガでは、男女どちらに向けたものであっても、セックスの描かれ方というのはひたすらエロを満たす目的で描かれており、「美しさ」という視点から描かれているものをあまり見たことがありません。
なぜ、BLマンガのような美しい描かれ方をした異性愛のポルノがないのでしょうか。
裏を返せば、女と男のセックスは耽美ではない、美しくはなり得ないということなのかもしれません。


また、男女間でのセックスは、男性主導で進められるため、どうしても女性が受け身な役割のプレイが多いということも、何か素直に楽しめない原因かもしれません。



”リカー&シガレット”より。詳細な描写ですが、美しく描かれています。


私自身は、性欲やセックスは食欲と同じように当たり前のこととして肯定されることが健全であると考えていますので、異性愛のセックスもBLマンガと同じレベルで美しく描かれて欲しいと思います。



そして、定的にセックスが描かれるBLというマンガ文化が大好きです。